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The Birth of Riverside Greenbelts in Kobe City
神戸市河川沿緑地の形成とその構想の起源
2014
Journal of the City Planning Institute of Japan
神戸市河川沿緑地の形成とその構想の起源
10 本の公園道路が計画決定された。この公園 計画について、布田らは現地の状況に応じた合理的判断を 下した上で行われたことを指摘している 9) 。一方、都市の防 火帯としての街路や緑地帯の建設・計画も戦前から進めら れており、帝都復興事業による広幅員街路の建設のほか、 函館大火(1934)復興の防火緑樹帯、静岡大火(1940)復 興の防火緑樹帯道路などが知られる。これら戦前の公園道 路や緑地帯の計画には、美観や保健・慰楽のみならず、防 災や交通上の課題も含めた都市計画の総合性が認められる。 この総合的計画のあり方や、各都市の実情や計画主体の個 性によって生まれた都市構想の独自性を明らかにすること は、都市計画史研究の重要な課題である。 戦災復興においては、地域独自の都市構想が花開いた。 河川沿いの帯状緑地に限っていえば、 広島、 鹿児島、 徳島、 神戸などで実現をみたが、神戸ほど多数の河川沿いに緑地 帯が形成された例はない。神戸市の河川沿緑地の大部分は 戦災復興による土地区画整理で実現したが(図-1) 、阪神・ 淡路大震災(1995)の復興においてもその意義が積極的に
doi:10.11361/journalcpij.49.128
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