Global Tectonics論の形成と受容―我が国における大陸移動説の場合―

谷本 勉
1912年1月8日のフランクフルトでの地質学協会年会において,ウェゲナー は大陸移動説を初めて公式に発表した。そのときの内容は,協会の機関誌 G"んgjscノbeRzJ"'Sc肱z〃ばかりでなく,ウェゲナーの予想に反して,当時の 代表的な地理学雑誌,PC蛇γ"α",zsGeogγ幼ノセノscheMガン蛇ガノ郡"gwzにも長文の 論文,"DieEntstehungderKontinente"(「大陸の起源」),として掲戦さ れた(2)。その結果,大陸移動説は少なくともドイツ語圏ではかなりの議論を喚 起した。しかし,ウェゲナー自身は2回目のグリーンランド探検に出掛けてし まって,議論には直接関与しなかった。 彼は,第1次大戦中の1915年3月に,、泥E'@Zs'ehz4"g"γKb"メガ"e"た ""dOz""e(『大陸と海洋の起源』,以下『起源』と略記)を書き上げた(3)。
doi:10.15002/00003609 fatcat:eaoxdce6szhirbhjtokcji3w5i