A STUDY ON A PRE-MODERN CANAL AND A MODERN CANAL IN OGAKI CITY
大垣の近世運河と近代運河に関する研究

Tsuneki MIZUTA
2013 Journal of Architecture and Planning (Transactions of AIJ)  
わが国の内陸水運は明治期の鉄道整備以降に衰え始め、昭和期の 自動車交通の発達によって大きく後退した 1) 。しかし、運河の建設 は昭和期も続き 2) 、全国的な水運衰退の趨勢とは必ずしも整合しな い。立地や機能によっては運河がなお有用だったことを窺わせる。 近世の濃州大垣は城下町、宿場町、内陸の湊町として繁栄した。 水運を支えたのは揖斐川支流の水門川と、それに接続する人工的な 水路の船町川である。近代後期に大垣は工業都市となり、船町川と 並行する大垣運河が計画されたが、 未完のまま排水路に転用される。 本研究は近世と近代の運河が並行する、この稀な事例に注目し、 まず近世水路の役割、沿岸の市街化、利用実態を整理し、次に近代 に新運河が必要とされた理由、その開削が難航した経緯、地域社会 の期待を探って、近世都市の近代化の過程における運河の役割を明 らかにする。 大垣水運に関する既往の研究や文献にも、支線水路である船町川 に関する記述は少なく、断片的な知見を集めてその姿を復元する。 大垣運河に関する文献はさらに限られているため、議会・行政の記
more » ... など一次資料から計画、開削、中断、改修の過程を探る。 ② 既往の研究 濃尾平野は木曽・長良・揖斐のいわゆる木曽三川によって形成さ れた。近世には水害に悩まされながらも、輪中堤で都市や農地を守 り、内陸水運を発展させる。木曽三川の水運に関する交通経済学や 交通地理学の研究は多いが近世に偏り 3)4)5) 、近代運河の研究はむ しろ土木、建築分野で充実している 6)7) 。 地理学の岡島は大垣が近代都市に変容する過程を論じ、重要な要 因として水運に注目したが、大垣運河の目的に関しては根強い水運 の需要という一般的認識に留まり、その前身である船町川には言及 がない 8)9) 。一方、清水は文献史学の立場から大垣水運と船町湊に ついて詳細に論じたが、近代以降の議論は限られている 10) 。 2. 大垣の歴史と河川環境 ① 城下町としての大垣 大垣城は天文年間(1532~55)の創建とされ、約百年をかけて完成 した平山城である。天正 13(1585)年の大地震、慶長5(1600)年の関 ヶ原合戦で大きく損傷したが、改修の過程で天守閣などを作り、面 目を一新する。以後は石垣、櫓、門などを次々に整備し、堅固な名 城となった。 その特徴は5筋の堀にあり、西の外堀が水門川、東の外堀が牛屋 川である。両川とも人工的に直流し直角に曲がるが、内堀3筋は斜 行し弧を描いて自然河川の姿を留める(図1) 。実際、水門川は永禄 図1 享保年間(1716-36)の大垣城下(文献 11) により著者作成) 大垣の近世運河と近代運河に関する研究 Ogaki, a castle town, is one of the most successful cities in attracting modern industries. This study is to investigate why the modern canal was planned as an alternative to the pre-modern canal, and how it was converted to a part of the drainage system of the city without its completion. Findings are as follows. 1) The old canal had lost sufficient width and depth to make navigation possible. 2) The new canal also lacked capacity for modern transportation. 3) The major objective of the new canal was seemingly to drain waste water from chemical factories.
doi:10.3130/aija.78.941 fatcat:wjuhgvf4xfcm5fhlffvrt5rrei