Brief History of Urban Fire Prevention and Wind Effects on the Fires Behavior

Shuichi TAKEYA, Yoshihiko HAYASHI, Keisuke HIMOTO, Tatsuya IWAMI
2017 Wind Engineers JAWE  
日本の家屋は木造が多くを占めることから,古くから 火災による被害を多く受けてきた。火災から家屋を守る ために, 江戸時代には瓦屋根, 土蔵の普及といった建物単 体を燃えにくくする対策が進められるとともに,火よけ 地, 広小路の確保といった都市・地区レベルでの対策が進 められた。 さらに, 火消し制度の導入といった消火能力を 向上させる対策も行われてきた。 明治に入ってからも火災による大きな被害が発生して いる。明治 5 年に発生したいわゆる銀座大火では約 95ha が焼失した後,銀座では煉瓦造りの不燃建築物が建設さ れた(いわゆる銀座煉瓦街の建設) 。 地方都市でもたびたび火災が発生している。函館市で は明治以降,火災被害が頻発していたが,明治 11 年及び 明治 12 年の火災後,基坂,二十間坂等を防火線として拡 幅整備するともに, 煉瓦造り・石造りによる建築物の不燃 化を推進した。さらに大正 10 年の火災後は,函館市内の 銀座通りを拡幅し,沿道建物を RC 造建築物で不燃化し た(写真 1) 。 写真 1 銀座通り(函館市)の沿道建物 大正12
more » ... 害が発生 し,東京市における被害世帯数約 35 万のうち,全焼した 世帯数は約 30 万であり,約 85%が火災による被害であ った(図 1) 2) 。また,この地震火災においては火災旋風 が発生し, 被害を拡大させている。 本所区の被服廠跡の面 積は 10.3ha であり,約 4 万人の避難者とともに大量の家 財道具が持ち込まれている状況であった。夕刻から火災 が三方向から迫るとともに, 火災旋風が発生し, 避難者が 安全な場所へ移動することが出来なかったことから,多 くの避難者が焼死することとなった 3) 。
doi:10.5359/jawe.42.251 fatcat:h6vap74fvjb5bgt4qkrsmv4i34