Trends of Geosciences after the Pacific War in Japan, 1945 to 1965 Part 3

Editorial Committee of History of G
2010 Journal of Geography (Chigaku Zasshi)  
V 第二次世界大戦に敗れて 日本の国土は 本 州・四国・九州に北海道をあわせて明治初期の状 態に立ち返ることとなった。そこに多数の引揚・ 復員者を迎え 明治前期の 3 倍もの人口を養う 必要があった。空襲等により荒廃した都市の復 旧 鉱工業生産体制の整備 経済流通機構の復興 に留まらず 土地利用の高度化や未利用資源の開 発は急務であった。 政府は 1946 年 8 月 12 日 連合国軍総司令部 (GHQ/SCAP)の意向を受け 既存官庁の所管を 越えて経済政策に関する総合企画官庁として経済 安定本部(総裁:首相 長官:国務大臣)を設置 した。その付属機関に資源委員会を 47 年 12 月 13 日設置(49 年 6 月 1 日資源調査会と改称) 多くの専門部会を設け 資源の開発・利用法の改 善から災害予防や防止策まで調査研究のうえ 必 要な勧告を発する等の活動を行った。事務局長に 内務省土木試験所長であった安芸皎一 常勤の副 会長に東京工業大学教授(化学工学)内田俊一ほ かの事務局職員や委員が任命された(経済安定本 部資源調査会事務局, 1951; 科学技術庁資源局, 1964)
more » ... 全国総合開発計画が策定されたのは 1962 年で あり(国土総合開発法の制定は 50 年 5 月) 土 木事業も戦後復興から経済の高度成長 工業化・ 都市化を推進するものへ変わっていく(日本土木 史編集委員会, 1973) 。防災対策やその一環で ある地域指定が順次行われたのもこの頃である。 709 - -地学雑誌 Journal of Geography 119 (4)709-740 2010 - -とくに臨海工業都市域で多くの試錐や井戸掘削が 施行され 地下資源資料が集積された結果は 目 視不能な地下構造の解明につながった。 1 主として『測量・地図百年史』 (測量・地図百 年史編集委員会, 1970)によって解説する。 1-1 1945 年 11 月 測地学委員会は戦後第 1 回委 員会を開催 翌 46 年 1 月第 2 回委員会で 以下 のような方針を決定した。すなわち ①委員会の 研究・調査業務は各関係機関に分配依頼し必要な 予算を建議 ②委員会は学術研究会議に所属せず 従来通り文部省に置き ③三鷹国際報時所は東京 天文台に移すことである。48 年になり 地球物 理学に関する政府の計画に対し連絡調整を行う委 員会の設定につき GHQ の勧告を受け 49 年 5 月 31 日測地学委員会を廃止し 測地学審議会を 発足させた。 1-1.1 地震の復旧測量 わが国は戦時中の 1943 年 8 月 12 日に福島県 田島の田島地震 同年 9 月 10 日に鳥取地震 44 年 12 月 7 日に東南海地震 45 年 1 月 13 日に三 河地震 さらに戦後の 46 年 12 月 21 日には南海 地震と大地震に見舞われ それらの地震に伴う復 旧測量が実施された。南海地震では 地震後 1 週 間で「近畿・四国地方震災復旧測量作業計画」が できて 翌年 1 ~ 4 月 四国南部 紀伊半島南 部において一等水準測量が開始され 6 ~ 10 月 に天文測量が四国で実施された。この測量は 戦 前ラプラス点として測地的に経緯度を決定してい る地点で再度天文測量を実施したのであり 戦後 の測地事業での全国的な測量のはしりとなった。 また 1948 年 6 月 28 日の福井地震 52 年 3 月 4 日の十勝沖地震など大地震が続き 関連す る一等三角測量が行われた。これが沖縄県の大部 分と北海道の一部を除き 全国をカバーする第 2 回一等三角測量の実施へ発展する契機となった。
doi:10.5026/jgeography.119.709 fatcat:fdpa7dx6nfhibi5wtxqkjau2eu