Fieldwork in Palmyra (Syria) and China
西に東に

Takahiro Nakahashi
2009 Anthropological Science. Japanese series  
はじめに たしか 1992 年の年の瀬だったかと思う。 奈良大学の泉 拓良さん(現,京都大学)から電話があり, 「シリアの パルミラに行って頂けませんか」と言われたときは,不 明にもシリアという国がどこにあるのかすら良く知ら なかった。あの中東のどこか,とまではわかっていても, エジプトの隣だったか,それともあのイランの横だった か...?。ましてや,パルミラ,という街の名前を出され ても,こちらは聞いた覚えすら無い。 「あの有名なパル ミラですよ」と言いたげな泉さんの口調に,その時は 「はぁー...」 ,と頼りなげな返事しか返せなかったのを覚 えている。断ろうかと迷っていると,横で聞き耳を立て ていた,当時,開業医から人類学者への転身を図って私 の研究室に通っておられた古賀英也先生が, 「引き受け て私を連れて行きなさい」と言いだしたものだから,つ いその気になってしまった。そのパルミラでの調査が, 今年でもう 20 年近くも続いているのだから, わからない ものだ。 ほぼ同じ頃,今度は九大考古の西谷正先生から中国調 査へのお誘いを頂き,こちらは二つ返事で OK して喜び
more » ... ていった。弥生時代の渡来問題を主要テーマ にしていた私にとって,北京社会科学院の収蔵人骨を見 せて頂けるという話を断る手はない。ただ,その時は, とりあえずあちらの古人骨とはどんなものか一度拝顔し てみたいというのが率直なところで,何か明確な計画が あったわけでもなかった。しかしそれ以後,何やかやで 中国に通い続けて,こちらも既に 20 年近くが経つ。この 間一体どれくらいの日数を中国で過ごしてきたことか。 それなのに私の口からはいまだにニーハオ,シェー シェー,サイチェンの 3 語しか出てこない。よほど頭が 悪いのかと思われるのも癪なので,中国人の前ではいつ も初めて来たような顔をすることにしているが,もちろ んこんなに長い付き合いになるとわかっていればもっと 計画的に中国語を勉強したのに,と時々悔やむこともあ る。 ただ, その一方で, 今さら始めても...という合理的? な判断いつもが私を慰めてくれるので,私の語学力は一 向に改善のメドが立っていない。 大陸の西と東で,どちらも以上のような些かお恥ずか しいきっかけで始めた海外調査だが,継続は何とかやら で,この間,ささやかながら幾つか興味深い事実も浮か んできた。まだ道半ばの感が強いが,松浦編集長からこ の欄に執筆する機会を与えられたので,手短にこれまで の経緯と今後の展望などを紹介してみたい。 *九州大学大学院比較社会文化研究院基層構造講座 〒 819-0395 福岡市西区元岡 744 番地
doi:10.1537/asj.117.35 fatcat:zvisjedlvbamfdyzmr35vtymw4